2011年11月15日火曜日

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田 俊也

続けてこれも読んでみました。

木村先生のすごさはどの本を読んでも統一されていて、
そしてそこに書かれているすべてに「力道山のプロレスを
しなければよかったのに」とまとめられている。

本当にすごい柔道家だったんでしょう。
悪口をどの本も書かれていないことからもわかる。
そしてこの本でも冷静に事実だけど書き綴り、そして数字や著名人の
証言でですごさをあらわしている。

つくづくもったいない、そしてこういう日本人だいっつも損をする。
そんな感じ。

出版社/著者からの内容紹介
昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳\xA1

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